10『幸せな舌』 郷土料理。 それは文化の伝統。 それは事情の落とし子。 それは歴史の語り部。 それは穫れる作物、事情からの必要性から生まれ、 歴史の中で受け継がれつつ姿を変えて今に至るもの。 そして舌を通して異文化より来たりし者にその文化を体感させる。 各々が郷土料理を持ち寄れば 驚きと発見に満ちた、楽しく賑やかな宴となるだろう。 厨房に入ってから一時間後、全員の調理が終わり、一旦丸テーブルについた。料理はまだ食卓の上には持って来ていない。前もって決めた順番で、一人ずつ台所からこちらに持ってくることになっていたからだ。 「さて、あんた達、料理は文句なく旨いのができたんだろうね!?」 いつの間にか、その場を仕切っているティタの威勢のいい声に、全員が頷いて答える。 「勿論自信作だ。ファルに毎日炊事やらされた俺の腕を見せてやる」 「自信だけあったかてあかんで、リク。俺のはジット直伝、モノホンの西方料理の技術に裏打ちされた味や。いっちゃん旨いに決まっとる」 「貴様は他人に食べさせたことがあるのか、眼鏡男? 私の料理はかつて魔導騎士団の同僚に振る舞ったことがあるが、その時はシノン様をはじめ、みんな絶賛してくれたものだ」 「俺は敢えて何も言いやせんよ。食えば分かりやス」 それぞれのコメントにティタはあはは、と声を上げて笑った。 「ようし、その意気だ。一番目、前菜は誰だい!?」 「俺ッス」と、コーダが立ち上がった。そして厨房の中に姿を消す。 間もなくコーダは一台のワゴンに載せた料理を運んできた。 それをテーブルの横につけると、ひとり一人の目の前に置いていく。 彼らは目の前に置かれた料理に目を丸くし、覗き込むようにしてその料理を見つめた。 「……これ氷か?」 リクが料理を指差してコーダに聞く。 そう、それは氷を削ったものに黄色い液体がかけられ、その中に細かく刻んだ野菜がところどころに見られた。 「そうスよ。普通なら水から作った氷に、果汁か砂糖水をかけるみたいスけど、これはスープから凍らせたものを削ったんス。まあ召し上がりやんせ」 コーダの勧めの言葉に応じて、リク達はそれぞれ添えられたスプーンを使って一口ずつ口に含んだ。 前菜らしく、あっさりとした味に冷たい食感、何のスープかと問われると答えが出て来ないが、程々に旨味が出ている。 「お、冷たくて旨いな」 「初めて食べる味だね、でもコレが砂漠料理なのかい? 氷料理なんて意外だね」 ティタの質問にコーダは口を綻ばせた。この質問を期待していたらしく、嬉々とした様子で答える。 「砂漠の街、特にファトルエルはあの通り、砂漠のど真ん中にあるでしょう? だから運送が難しい氷は、宝石より貴重なんスよ。それで大切に、よりよい形で食べようってんで、ファトルエルじゃ氷料理が一番高級で発達している料理なんス」 「なるほど、そういう形で発達する料理もあるんだ」と、ミルドが感心した様子でコメントする。 「しかしスープの味も未知だ。一体なんのスープなんだ?」 このジェシカの質問に、コーダは苦笑して答えた。 「知らない方がいいスよ」 「なんじゃい、勿体振りよってからに。ケチケチせんと教えたれや」と、不満そうに声を漏らしたのはジットである。一口ずつ食べるごとにメモ帳に何かを書き込んでいる。参考にして料理に取り入れようというのだろう。 「知ってどうなっても責任取りやせんよ?」 「ええからはよ教えたれ」 コーダはしようがない、という風に溜め息をつくと厨房に戻り、“それ”を持ってきた。最初は遠くて分からなかったが“それ”がなにか分かった時点で皆が凍り付く。 それは蜘蛛だった。しかもコーダの手の平に収まり切らないくらい大きな蜘蛛だ。しかもそれは余ったお陰で命拾いしたのか、まだ黒く細かい毛に覆われた足をもぞもぞと動かしていた。 「“アラシグモ”って言って、砂漠でこれを見かけると砂嵐に遭う確率が高いっていうんで、この名がついたんス。大きい上に身が美味しいので砂漠じゃ大切なタンパク源の一つなんス」 「じゃ、もしかしてこの細かい肉……」 「ええ、この蜘蛛の肉でやスけど?」 その時点で、口にそれを入れていた者はそれを噴き出しかけ、口にしていないものは、次の一口を迷っている。 淡々と食べ続けているのはリクとフィラレスだけだった。 その様子を見て、コーダは不満そうに溜め息を付いた。 「……だから知らない方がいいって言ったのに……」 最後は食べる気が失せたとはいえ、あっさりとしたコーダの料理は次への料理の食欲を掻き立て、前菜としての役目はしっかりと果たしていた。 腹を空かせた皆に急かされ、二番目に出てきたのはカーエスの料理である。 「ほっぺた落ちても知らんでぇ〜」 そう言ってカーエスが押してきたワゴンに乗っているのは、大皿に盛った麺料理だった。 彼は鼻歌まじりで、大皿をテーブルの真ん中におくと、ひとり分ずつ中皿に取り分けていく。 見た目は冷製パスタだが、麺が幾分太めだ。それにからめられた具は鮮度の良さそうな海の幸がほとんどである。その上では細かく刻んだ海苔が彩りを添えていた。 先ほど“魔導眼”を使って“味見”もした。いい色が出ており、先程のコーダの料理と比べても、こちらの方が格段に旨いはずだ。 「これには下手物は入っていないだろうな?」 ジェシカが不安そうに料理を覗き込んで尋ねた。知らない料理には何が入っているのか分からないと先ほど知らしめられたからだろう。 「ンなモン入っとるかいっ! コーダのとこは食いモンあらへんから蜘蛛でも食べなしゃーなかったかもしれんけど、オワナ・サカは食いモン豊富やし」 「例えば?」 「オワナ・サカは島国で海産物が豊富でな、陸じゃ小麦がようさんとれるよって麺が主食なんや。だから海産物を絡めた麺っていうのがオワナ・サカの典型的な料理なんやな。まあ食ってみ」 そのカーエスの声と共に全員がフォークを取り、麺を食べ始めた。 海を連想させるような自然な塩味、麺はつるつる、と喉越しがよく、食道を通って、身体に清涼感を与えながら腹に収まっていくのが感じられる。 具も基本的に塩味だったが、幾分質が違い、麺の塩味にアクセントを与え、様々な食感が食べる者の舌を楽しませてくれた。 「お、いい塩加減で旨いな」 「この喉越しがたまらないッスねぇ」 リクとコーダの感想を聞いたカーエスが、嬉しそうに料理の師であるジットに向けられる。 ジットはその視線に気付くと、わざと目を反らして言う。 「ふん、まあ不味くはあらへんわい。ただまだ麺のコシが足らへんな。具も火の通し方がまだまだ甘いで」 素直に誉められないことからくるひねくれであろう後半部分は、カーエスにはほとんど聞こえていない様子で、彼の表情が更に綻ぶ。 そこにジェシカの罵声が飛んだ。 「貴様、一体この中に何を入れたっ!?」 「……え?」 「とぼけるなっ! コレだコレっっ!」 そう言って、ジェシカが呆気に取られているカーエスの前に突き出したフォークの先についていたのは、弾力のありそうな円柱形で側面は赤いもの、いわゆる…… 「……ただのタコ……やな?」 「やはりか!? 貴様、私にタコを食わせたと言うのか!?」 あまりの剣幕にカーエスも怒鳴り返すより困惑している。 そんな雰囲気の中で、おずおずとミルドがジェシカに尋ねた。 「要するに、タコが嫌いなんだ……?」 そのミルドにジェシカは振り向くと、キッとミルドを睨み付けた。 鋭い視線を向けられたミルドはビクッと怯む。 「ミルド殿、私を見損なわないで頂きたい。私は幼少の頃から好き嫌いのないように両親に厳しくしつけられ、そのしつけは今も私の中に生きております。私ならばどぶねずみさえも美味しく食べてみせますとも」 「ご、ごめんなさい……」 「さっきは蜘蛛と聞いて食べるのを躊躇してたくせに……」 「それにどぶねずみまで美味しく食うのは、そこはかとなく間違っとるよーな気が……」 コーダとカーエスの静かな突っ込みを差し置いて、リクが尋ねた。 「じゃ、何でタコが食えないんだ?」 リクに訪ねられた途端、ジェシカは今までの剣幕を引っ込めて話し始めた。 「私の国、カンファータではタコを食べる習慣がないからです。タコにはしっかりとした骨がなく、これを食べていると骨のある人間にはなれず、また、船に足を絡めて沈めてしまう海の悪魔だと信じられています」 「う〜ん、いろんな文化事情もあるモンなんだなぁ……」 事情を聞いたリクは、腕を組んで唸った。しばらく考えた後、リクは続けて言った。 「でもここはもうエンペルリースでもある。郷に入らば郷に従えっていう言葉もあるし、いっぺん食ってみたら?」 リクの提案に、ジェシカはタコをしばらく眺めていた。自分の倫理観と、リクに対する尊敬の念が葛藤を引き起こしているのだろう。 やがて決心をしたように顔を挙げて言った。 「……リク様がそう仰られるのなら」 そういってジェシカは、他の皆が注目する中、端に避けていたタコをフォークで刺し、口に運ぶ。そして、口の前で一瞬躊躇してから、思いきってそれを口の中に放り込んだ。 始めはそれこそ苦虫を噛み潰すように緊張した面持ちだったが、たった一噛みで、そうした緊張は完全に解けたようだ。 その表情を見て取ったカーエスが胸を張って言った。 「どーや、うまいやろ。思い知ったか」 その一言で、せっかく緩みかけたジェシカの表情が固まる。 「ああ、旨かった。しかし貴様に言われると癪だっ!」 そう言って、皿の横にあったナイフでカーエスの鼻の頭を刺す。 「ぎゃあぁぁっっ! 何すんねん、このひねくれ魔導騎士!」 「なんだと貴様、もう一度言ってみろ!」 その様子を呆然と見ていたリクは溜め息を付いた。その横では、コーダが微笑ましげに二人の喧嘩を見守っている。 「今回は喧嘩を防げたと思ったのになぁ……」 「きっとああしていないと、落ち着かないんスよ。あの二人の場合」 一騒動あった後、場は一応落ち着きを見た。 どのように落ち着いたかに関しては、カーエスがぼろぼろになり、他の全員が肩で息をしているところから推し量ることができる。 「はぁ、一騒ぎしたらまた腹が減っちまったね、次は誰だい?」 「あ、俺だ」 そう言って立ち上がったのはリクだった。すっかり忘れていたらしく、焦ったような表情を浮かべて小走りに厨房に入っていく。 間もなく、リクはワゴンに乗せた料理を運んできた。 その料理の形態に皆が目を丸くした。 一見、深底の器の縁ギリギリに半円形のものが乗っているように見える。が、もう少しよく見てみると、それは蓋のように器に覆い被さっているのが分かった。 「あら? リク、お前シチュー作ってへんかった?」 不思議そうに尋ねるカーエスに、リクはにやっと笑って言った。 「スプーンでそれつついてみ」 カーエスは眉を潜めたまま、リクの言う通りにスプーンを持ち上げて、その小麦色の反球体を軽く突いてみた。するとそれは簡単に割れてしまい、スプーンはさくっと中に入り込んでしまった。中は空洞のようだ。 スプーンを退けて、中を覗いてみると、そこには美味しそうな香りを含んだ湯気を放つクリームシチューが入っている。 「へぇ、パイのドームの中にシチューが入ってるんやなぁ、これは珍しいで」と、カーエスが素直に感心し、皆がカーエスに習ってパイを破る。 「おー、ホントだ。中々旨そうじゃないの」 「面白い造りだねー」 ティタとミルドから歓声が上がる。 同じくパイを破って、中を覗き込んでいたジェシカが尋ねた。 「これはどうやって食べるのですか?」 「ああ、パイは端から割ってくんだ。で、中にあるシチューと一緒にすくって食べる。これだったらパイがふやけないように食べられるだろ?」 この説明を聞き、カーエスも端からパイを割ってシチューをすくった。一応メガネを外し、“魔導眼”で確認をする。 柔らかみのあるオレンジ色。味付けは甘めのようだが、この甘さを嫌う人間はあまりいないはずだ。大人から子供までが喜んで食べるだろう。 食べてみると、予想通りの味だ。パイに薄く付けられた塩味が次の一口をそそる。野菜も適度に火を通されていた。ファルガールに毎日炊事をやらされた腕というものはまゆつば物ではないらしい。 (こ、これはなかなか……) 味のタイプが全く違うが、自作のパスタと甲乙つけ難い味に、カーエスは内心思わずたじろいだ。 「で、これはどこの料理なんスか?」 パイを割りながら、コーダはそう尋ねた。 それにリクが心外そうに答える。 「おいおい、皆が作ってたのはそれぞれの故郷の料理だろ? 俺も自分の故郷の料理を作ったんだよ。祝いの時に必ず作る料理で、村からしたら贅沢な材料を使ってるんだ」 「だから、その故郷がどこなのか聞いてるんスよ」 みんなに水を注いでやっていたリクの手が止まった。 そして、しばらく宙に視線を移して考えた後、自分でも驚いたように答えた。 「……そういや知らねーな」 「え?」 聞き返すコーダに、リクは水を注ぐのを再開して答えた。 「十年前、大災厄に襲われた後、すぐファルと旅立って、あとはファルについていくだけだったからな。旅立つ前は俺にとっちゃ村が全世界だったし、どこをどう歩いたかなんていちいち憶えちゃいねーし」 「それで寂しゅうなかったんか?」 そう聞いたカーエスの脳裏には、自分がホームシックに悩んだ日々を思い出されていた。 「いや、別に……帰れれば寂しくもなっただろうけど、俺の場合帰る故郷は消えちまったからなぁ。それに旅に出てからはずっと魔法の修行の日々だったし、ファルにはからかわれっぱなしで故郷を思い出すヒマはなかったな」 あっけらかんと答えるリクだったが、聞いた方はしーんと静まり返ってしまった。なかでも質問をしたコーダは、バツが悪そうに俯いてしまっている。 それに慌てたのはリク自身だった。 「お、おいおいそんなしんみりするなよ、メシが不味くなるだろ。俺はそんなに悲しいことだと思ってねーんだからさ」 しかしそれでも場の空気はなかなか盛り上がらないまま食事が進む。 空になった皿にスプーンを置いたコーダが言った。 「兄さん……」 「ん?」 「このシチュー、旨かったス」 「そっか。ありがとな」 「残り二品か。デザートはフィリーが作ってたんだから、次はジェシカだよな?」 リクがそう言って、ジェシカに視線をやるとジェシカは恭しく立ち上がり、厨房に歩いて行った。 「はい。今お持ちいたします」 ジェシカの後ろ姿が厨房の奥に消えて行くのをみてコーダが言った。 「ジェシカさん、宮廷料理を作るって言ってたんスよね」 「ああ、どんなのが出て来るんだろうな」 「何言っとんねん。あのヤリ女や、油断してたらエラい目みるで」 間もなく、例によってワゴンに載せられた料理が運ばれて来る。その皿は銀の半球型のフタに覆われており、彼らからは中身が見えない。 ジェシカはそれをテーブル脇まで持ってくると、銀蓋の取っ手に手をかけた。 「お待たせしました。これが私の料理、ウエシト産ダッカのライス抱き込み焼き、クレーヴィソース掛けでございます」 そして勢いよくフタを取ると、そこには綺麗なキツネ色に焼けた大きな鳥が乗っていた。 その背中には縦に切り込みが入れられ、そこから山菜を混ぜて炊き込まれたらしいライスが見える。 その上からはなんとも香しい匂いのソースが掛けられている。 (見た目はええな……見た目は) カーエスは取り分けられてくる鳥と山菜ライスをそう評する。 そして、かけていた眼鏡のレンズを拭くように見せ掛けて、さり気なく眼鏡を外す。 (しかし味はどうや……っ!?) それを見た瞬間、カーエスは仰天した。 極彩色である。今まで数々の料理の味を“見て”きたがこんな色は見たことがなかった。 「じゃあ、食わせてもらうか」 「あ、少し待って下さい、飲み物を持って来なくては」 「飲み物くらい後でいいスよ」 香りに食欲をそそられるのか、幾分急かすようにコーダが言った。 「いや、この料理の場合、そうもいかんのだ」 「こう見えてめっちゃ辛いちゅうことか?」 ジットの質問に、ジェシカは意味深長にかぶりを振った。 「いえ、もっと切実な理由からです」 それだけ言うと、料理をもってきたワゴンを押して厨房に入った。 「どう言うことだ?」 リクが隣に座っていたフィラレスの方を向くと、彼女も首を傾げてみせた。 「どうせ宮廷料理にありがちな作法の問題とかやろ」と、カーエスは構わずスプーンにライスをすくった。 「懲りない男だね、今日死にかけたばっかのクセに」 ティタが呆れたように息を漏らす。 「大丈夫、ちょっとくらいや、バレたりせーへんて」 そう言って、カーエスはすくったライスを口の中に入れてしまった。 しかし、途端に彼の動作が停止した。 「やっぱ辛いんか……いや、飲み物と一緒に食べんと死ぬほど不味いちゅうやつか?」 「あ〜あ、あたしは知らないよ」 そんなジットとティタの言葉にもカーエスは反応しない。押せば返すリアクション豊かなカーエスにしては珍しいことだ。 しかしやっとカーエスが動き出したかと思うと、カーエスは何事もなかったように咀嚼し、ごくりと飲み下す。 「う……」 「う?」 カーエスの反応に注目する一同に、カーエスは絶叫した。 「うまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ……!」 甘いとか辛いとか苦いとかいう話ではない。とにかく旨い。旨いという味だった。まるで、カーエスの好みを知り尽くした人間が、完璧な腕で作り上げたような完璧な旨さ。 これほど旨いものは全く食したことはない。 「やはり食べたか……」 いつの間にか厨房から帰ってきていたジェシカが呟いた。 「何なんだ、あの反応は?」 「今、お話しします」 リクの質問に、ジェシカは全員に飲み物を配りながら返事をした。 「では皆さん、食べ方を御説明します。さきほど私は飲み物を持って来るまで料理を食べるな、と言いましたが。まず、それを破った人間がどうなるかを見ましょう」 一同の視線がカーエスに集中する。 先程まで、ジェシカの料理の味に感激し、思わず天井を仰いでいた彼だが、今は天井を仰いでいるというより、焦点が定まらず虚空を見つめているといった感じがする。 さらに感動に打ち震えていたはずの身体だったが、今はどちらかというと痙攣しているといった方がぴったり来る。 「……ひょっとして毒料理?」 「はい、仰る通りです。ライスの中に含まれた山菜にシアスデスというものが入っております。世界一の美味を誇る草ですが、猛毒でして、料理を口にした後、三十秒以内にこの解毒剤入りの飲み物を飲まねば、ああなります」 「呑気に解説してる場合じゃないだろっ!? コーダッ、早くそれを飲ませろっ!」 さすがのリクも慌ててカーエスの隣に座っているコーダに指示した。 いつもどこか余裕をもって事に当たるコーダもこの時ばかりは焦り、些か乱暴にカーエスの口に飲み物を流し込んで行く。 唇の端からだらだら流れているが、喉仏が動いているのを見ると、しっかりと飲めていることがわかる。 「ああ、ばあちゃん……今日はよう会うなぁ……え? ええとこ連れてったるって?」 「駄目だっ! ついてくなぁっ!」と、リクがぺたぺたとカーエスの頬を叩く。しかしカーエスは目を覚まそうとしない。 「叩き方が温いんだ。あたしにまかせなっ」 そう言って、ティタはカーエスをひったくるようにして自分の方に寄せると、容赦なく平手打ちの往復ビンタをマシンガンのように放った。ティタのビンタの音が響く。パンパンなんて生易しい擬音語では表現できない音だ。どちらかというと太鼓のような低重音である。 そうこう言っているうちにカーエスの顔がみるみる腫れてきた。 「あの、ティタ……? 気付けのビンタで殴り殺しちゃ駄目なんだよ?」 ミルドが遠慮がちにいうが、もはや彼女には聞こえていない。 しかし一向に目を覚まさない。 流石に疲れたティタにジットが提案する。 「気付けドリンク持って来よか?」 「何が入ってるんだい?」 「ビジルと、カルをひまし油で……」 「……それホントに効くんスか?」 ちなみにビジルは食べれば本当に口から炎が上がる世界一辛い唐辛子、カルは世界一強い酒だ。 カーエスを取り囲んでわいわい言っていると、フィラレスが指でティタの方を突いた。 「何だい、あんたもビンタしたいのかい?」 フィラレスはふるふると首を振る。 「きっと自分にまかせてくれって言ってるんじゃないかな?」 ミルドの訳に、フィラレスはこっくり頷く。 ティタはカーエスの横にから退いてスペースを空けてやった。 「ちゅーの一つでもして生き返らせる気かね?」 ティタが腕組して見物していると、倒れているカーエスの身を起こし、その背中に回り込む。そして何かを探るように、カーエスの背中を撫でると、見付けたポイント目掛けて拳を打ち込んだ。 「ぷわっ!?」 途端にカーエスが目を覚まし、自分に注目する一同を見渡した。 その中にジェシカの姿を認めると、途端にさっきまで死にかけていたとはとても思えない剣幕で彼女に向かって行った。 「ヤリ女ァッ! おんどりゃよくも一服盛ってくれたな!?」 「忠告を聞かなかった貴様の自業自得だと私は思うがな?」 冷静な反論にカーエスは思わずたじろく。 「ぐっ……!? なら何でわざわざ飲みモンを後から持ってくんねん!? 短気な俺の性分を見越した完全犯罪ちゃうんかい!?」 「………」 「あっ、目ェ反らしよったな!? やっぱり図星か、この泣く子も殺す危険人物が!」 思わぬカーエスの指摘に、ジェシカはほとんど開き直ったように大声を出し始める。 「誰が危険人物だっ!? 引っ掛かる貴様も貴様だ! 大体やることなすこと私の気に入らないことばかり、当然の報いだ!」 「やかましい! 知ったこっちゃないわい! あんまごちゃごちゃ抜かすと今度は深海物のゲテモノ食わすぞコラァッ!」 リクとコーダは、その終わりの見えない口論を端で見ていた。 いつもは微笑ましく傍観を決め込む二人だったが、さすがに今日に入ってからのエスカレート振りに少々呆れた感を拭えない。 「流石に見すごせないレベルになってきたよなぁ……」 「特にジェシカさんがカーエス君を絞め殺しかけてから随分大きくなりやしたよね。今は憎みあってるってことはなさそうスけど、ああやっていがみ合ってるうちに本当に憎みあうようになっちゃいやスよ」 顎に手を当てながらの冷静なコーダの分析にリクは唸った。 「何とか出来ないかな?」 「あそこまで喧嘩が大きくなったんだ、無理にでも白黒をつけた方がいいスね。決闘でもさせやスか?」 確かに、ここまで大きくなってしまったいがみ合いをどうにかするにはルールをつけた勝負で白黒をつけるのが手っ取り早い。“決闘の街”ファトルエル出身のコーダらしい意見であると言えた。 「……あれ以上酷くなるようなら考えるか」 リクはそう結論付けると、自分の席に座り直した。そしてジェシカの料理をスプーンですくった。 「それ、毒でしょ? 食べる気スか?」 「正しい食い方をすれば大丈夫なんだろ? 折角手間かけてジェシカが作ってくれたんだ。食わなきゃもったいねーじゃねーか。ん、旨い」 一口二口食べてはコップに入った飲み物を飲み、リクは平気で食べ進めて行く。 フィラレスもそれを見て自分の席につき、同じように食べ始めた。 そんな二人に、コーダやミルド、ティタ、ジットも次々と席につく。 「……じゃ、俺も付き合いやスか」 「ま、ちゃんと食べたリク君は無事みたいだしね」 こうして会食が再開する。 見物人がいなくなっても勢いを失うことのない二人の言い合いを横目で見ながら、ティタはふと思った疑問を口にした。 「あの二人、本当のところはどっちの方が強いんだい? 一見すれば、あの槍の嬢ちゃんのほうが強そうだけど」 「相対的に見ればカーエス君の方スね」 カーエスもジェシカも、ファトルエルでリクと闘っており、結果は両方ともリクの勝ちであることには変わらなかったが、試合の内容は大きく異なる。 ジェシカは一撃で負け、カーエスは“魔導眼”によってリクに大きな苦戦をさせた。よってコーダの言う通り、相対的に見ればカーエスの方が強いことになる。 「闘いの相性にもよるだろ。ジェシカは補助魔法を絡めた白兵戦が得意だろ? 俺の場合、魔法攻撃主体だから“魔導眼”の先読み能力で全部防がれてたけど、ジェシカの戦法だと“魔導眼”のメリットは大してないと思うぞ」 「なるほど、そういう見方もありやスか。でもカーエス君って、兄さんと闘った時はまだ隠してた力があったんでしょう?」 「ジェシカも同じように実力を隠し持ってる可能性もある」 リクの意見にコーダはう〜ん、と唸る。 二人の討論を聞き、ティタは楽しそうな表情で言った。 「こうなったら謀ってでも二人の仲をもっと悪くして、決闘に持ち込んでみたいねぇ」 「ティタ……、冗談だよね……?」 リクは、いつの間にか空になった皆の皿とまだ罵りあいを続けている二人を見た。そして溜め息を一つついて、少しきつめの調子で二人に言う。 「ジェシカ、皆食べ終わった。皿を片付けてくれ」 「は、はい。かしこまりました」 「カーエス、次はフィリーのデザートだぞ」 「せ、せやっ! こんな下らん事に情熱を費やしとる場合とちゃう!」 途端に二人は喧嘩を止め、ジェシカは食器を片付け、カーエスは自分の席に座った。 それを見届けるとリクはフィラレスの方に向き直った。 「フィリー、デザートの準備をして来いよ」 リクの言葉にフィラレスはこくりと頷き、食器を片付けに厨房に戻るジェシカの後ろについていく。 それを見送ると、リクは椅子の背もたれに体重を預け、ふう、と息をついた。 そんなリクの顔を、コーダがからかうような視線で覗き込む。 「な、なんだよ」 「さすが兄さんスね。あっという間に場を収めちゃって」 「よせよ、喧嘩を仲裁したわけじゃない、中断させただけだ」 ほどなくして、フィラレスが綺麗に切ったケーキの皿を載せたワゴンを押してきた。 そのケーキは全体的にピンク色をしており、上にはチョコレートを半分コーティングしたイチゴが載せられているという可愛らしい外見だった。 「おぉ〜」と、カーエスが歓声をあげる。 フィラレスが皆に紅茶をいれている間にカーエスは眼鏡を外した。“魔導眼”でそのケーキの味を見るためだ。 フィラレスの料理の腕を疑っていたわけではないが、フィラレスの作った料理がどんな色をしているのか興味があったからである。 外見通りのピンク色か、はたまた綺麗な金色か。 (さあ、どんな色や……っ!?) そして眼鏡を外した後、勿体振って閉じていた目をカッと開け放つ。 その直後、 「しょ、しょええええぇぇぇぇっっっっ!?」 悲鳴が上がり、反射的に仰け反った勢いで、カーエスはそのまま椅子ごと倒れてしまった。 それを傍目にジェシカが溜め息まじりに呟く。 「……いちいちやかましい奴だ」 「まあまあ、賑やかでいいじゃないスか」 コーダが、それをなだめている間にジットがカーエスに尋ねた。 「お、おい、カーエス、どないしたんじゃい……!?」 椅子に座った姿勢で仰向けに倒れたまま、カーエスは呻くように声を絞り出した。 「……ど……ドドメ色……」 ドドメ色、というのは、語感から虫の体液のような汚い色だと思われがちだが、実は紫系の何ということのない色だ。しかしながらこの場合、カーエスが見たものは世間のイメージするドドメ色、つまり虫の体液のような汚い色であったらしい。 一同の不幸は、カーエスが皆に見付からないように味の色を見ていたことだった。 ジットは「なんのこっちゃ?」と、首を傾げながらもカーエスに手を貸して、椅子と一緒に元に戻してやる。 「さあ、フィリーのケーキはどんな味かな?」 全員がその可愛らしいケーキにスプーンを入れる。その感触はふわりとしていて、ムースのように柔らかい。美味しそうな甘い匂いが全員の鼻腔をくすぐった。 周りがごくりと生唾を飲み込む中、カーエス一人だけがスプーンを持つ手が震え、固唾を飲み込んでいた。 そして一同が同時に口に入れた。 瞬間、サッと一同の顔が青ざめる。 そのケーキが舌に触れたその瞬間から、全身がその全本能を持って、その異物を体内に受け入れることを拒否しはじめた。 それは味の混沌だった。甘くもあり、辛くもあり、酸っぱくもあり、苦くもあり、そして何故か舌は痺れた感じがする。匂いは一番キツい甘い匂いから、刺激臭、アンモニア臭、何故か血臭や腐臭まで感じられるような気がする。 身体はそれを吐き出すことを要求していた。 しかし、自分の作ったケーキの評判がどうか、気にして見つめる二つの目がある。言うまでもなくフィラレスだ。 これは悩むところだった。出来るかどうか危ういが、これを「旨い」と嘘の評価をしても、後に正直な人が「不味い」と言ったら余計に傷付けてしまうだろう。かといってこの場で「不味い」とはなかなか言えない。 しかし、それ以前に飲み込めるかどうかも危うい。何とか飲み込めても吐き出してしまうかもしれない。 ふと、カーエスは手元に紅茶があるのに気がついた。手にとって、一口飲んでみる。直前に口にしたものの所為か、それはひどく美味しく感じられた。 なんとかそれでケーキの方は流し込める。 周りを見渡すと、他のほとんどの者も同じ戦法をとったらしい。紅茶のお陰でなんとか吐き出さずに済みそうだった。 その声が上がったのは、こうして一同が紅茶に救いを見い出した直後だった。 「旨いっ! いけるぞ、このケーキ!」 (何ィィィっっ!?)と、一同が危うく声を出しそうになるところを何とか堪え、驚きの眼差しでその声の主に注目した。 それはリクだった。 はじめは、フィラレスを傷付けまいとするお世辞だと思っていたが、そうでないことはすぐに分かった。 なにしろ二口三口と全く躊躇なく、フィラレスのケーキを口の中に放り込んでいたからである。そして紅茶で流し込むことも全くしていなかった。 (なんちゅー舌しとんねんっ!?) (感服致しました、リク様……!) (……ある意味幸せな舌ッスねー) フィラレスは、はにかんで少し俯いた。その頬は薄く紅潮している。 彼女はその表情をカーエスに向けた。目があった彼はびくりと反応し、続いて彼女と同じく頬を紅潮させた。そして若干引き攣った笑顔を彼女に向けると、つまりながら言った。 「あ、ああ、リクの言う通りや。め、滅茶旨いで」 カーエスに習い、他の一同も後でばれる機会のないことを祈りながら賛辞を並べた。しかし、カーエスは最後に一言、本当に余計なことを付け加える。 「ホンマやって! おかわりあったら食いたいくらいやで」 するとフィラレスはちょっと待っていろ、という意味を含むであろう、手の平をカーエスに向けて上げるジェスチャーをすると厨房の奥に姿を消す。 その瞬間、カーエスの顔が更に蒼白になり、そして彼女がケーキをもう十皿ほど載せたワゴンを押して来るのを見て、完全に血の気を無くしてしまった。 「私は既に満腹だ、付き合わないぞ」 「同じく」 ジェシカとコーダが冷たく彼を突き放す。 それを見ていたリクは、本当に不思議そうに首を傾げた。 「へぇ、勿体無いな。こんな旨いケーキをお代わりしねーなんて」 |
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